痛みを忘れ線維筋痛症と付き合う

線維筋痛症・持続性気分障害等、多数の持病を持ちながら、笑顔で過ごしている、私流、痛みの忘れ方。

またかぁ。

3人の息子達は、それぞれ違う原因で天国に逝ってしまいました。

私の人生を変えた初めての辛い出来事は次男が4ヶ月検診で異常有りで、腕の細胞を調べての検査から始まりました。


結果[ウエルドニッヒホフマン病(脊髄性筋萎縮症)]

二十歳迄、生きられないだろう・一生歩く事も座る事もできない


との辛い宣告でした。


それからは、毎月、肺炎を起こし、私は次男に付き添っての入院生活でした。


退院する時は、元気になり亡くなる3歳4ヶ月迄、肺炎で入院してる時以外は、2つ上の、お兄ちゃんが良く面倒をみてくれて、とても仲良しの兄弟でした!


亡くなった時も肺炎で酸素テントに入り、私は、体調を崩し、1つのベットで次男の隣で横になってる状態だったので集中治療室で私が良くなるまで預かるからとの事で、部屋を移動する時、異変が起こり、その数時間後に亡くなりました。


まさかの、あっという間の出来事でした。


この病気は、今では分かりませんが、当時は原因不明で、強いていうなら、夫婦の組み合わせとだけ聞いてました。


次男が亡くなった経路は、ここまでにしておきます。



ここからが、ちょっと、不安だった事が私の身体に起こっています。


2年程前から、普通にしてても、突然、足や腕が痙攣を起こす様になり、頻度が頻繁になって、色々調べてたら、脊髄性筋萎縮症の症状と似てたので整形外科の先生を通し、脳神経内科で診察を受けたら、思いもよらぬ先生の言葉に耳を疑いました!


「貧血で子宮を全摘する事はありませんよ!

説明、ちゃんと聞いて無いんですか?

更年期でしょう、産婦人科に行って下さい」と!!


自分の身体の手術、何の手術か、わからないなんて事はありませんよね!!

今、これを書いてる私の手が震えてます。

当時の怒りが!!

この病院は、急患で行っても診察拒否をされてる病院です。


痙攣は暫く続いてたのですが、ここ数ヶ月は落ち着いてました。


お昼頃迄は、なぁんて思いもしなかった事だったのですが、私の身体の不調を、いつも検索して調べてくれる息子が栄養も関係あるみたいと言って部屋に戻った後、私も検索をかけてみたら。








またしても、脊髄性筋萎縮症の文字が💦

やっぱり、そうかなぁと、ちょっと不安では有りますが、自己判断なので、今度の診察の時に整形外科で聞いてみます❗️


この文字を見た時から胃痛が酷くて、夜ご飯は息子は自分で作って食べてくれました💦


母は、しっかりしないとですねぇ🤣


明日は、歯医者さんへ行ってきます❗️

まだまだ歯医者さん通いは続きます😅

歯医者さんの先生が癒し系なので、ホッとした時は過ごせてます😊

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